“歓迎とか”書いてあるハッピを着させられた俗っぽい、富士山。
東京オリンピックに合わせた1964年の富士スバルラインの開通と共に、富士山は観光事業の象徴というべき存在となった。更には中央高速が開通した1967年以降、その勢いは増し今日に至る。
テレフォンカードの中の白い頭をした、青い顔の富士山は桜の木のうしろでいつも微笑んでいた。
(僕の中で)
昭和後期〜平成の富士山のイメージ
コレはコレで、もちろん否定は出来ない。
観光の象徴となった富士山が、多くの旅行者を多幸感に包み込み、観光立県、観光立国としての立ち位置を
構築したことは紛れもなくコレも富士山の真実と功績なのだから。
それでは。
ぼくたちは違う表現で富士山と対峙させてもらおう。
富士山は、生きている。
生きている富士山を感じる為に。
富士山の肉と血と骨を巡る旅だ。
溶岩は骨
水は血
育まれた、緑や生物は肉や内臓
とても寒く、とても冷たく、
恐ろしい。
それでいて全てを包み込む暖かさがある。
そんな富士山にknockoutされる時間。
一緒に創造しませんか?
両方とも、富士山自身が創造した森です。
片方は3000年前
片方は1200年前
どっちがどっちでしょうか?
樹海の中の無数の溶岩洞穴は、富士山の噴火によって生み出された
それは骨のように硬く、内臓のように、深く暗い。
富士山が日本一大きな火山であることを証明しています。
溶岩は、西湖の湖中、水深25m付近まで到達しています。
溶岩によって、古代湖せのうみ(西湖、精進湖、本栖湖)は分断されましたが
富士山、自らに降った雨は、富士の内臓を(樹海)循環し
血液の如く、3湖を結ぶ地底湖から湧き出ていると、僕は思います。
いずれにしても、3湖の湖面標高は904mと等しく、
どこかで繋がっていることは、間違いないでしょう。
さあ‼︎ 厳しくて、怖くて、暖かい、
生きている富士山へと、飛び込みましょう!
富士山が醸し出す “とてつも無き包容力と色気に”
なすすべなく、メロメロになっちまう。